型破りな考えも、型にはめる!
― 東亜成型 ―
パッと見はイメージ通りの
町工場なのだが…
西淀川は工業の町、ファクトリーなタウン。でも近年は、工場に代わってマンションが建つこともしばしば。住まいの町になりつつある。と、ちょっぴり寂しい心持ちになっていたのだが、区内を西へ西へと足を伸ばすとこれぞ! というトタン壁のファクトリーな景色が広がっている。
西淀川区中島2丁目、区域を俯瞰してクジラに見立てたら顔の部分。北に中島川、南に神崎川に挟まれた中島工業団地だ。総面積はおよそ41万坪、東京ドームで例えるとだいたい29個分。そこに金属加工や鉄鋼、土木に化学、メッキに運送などなど、ありとあらゆる工業とその関連産業が集積している。そのなかの一軒がこの日訪れた東亜成型である。
創業は1953年。野里で農機用エンジンの木型製造からスタートした。その後規模を拡大し、1979年に中島工業団地に移転。鋳造も行うようになり、事業の主力は自動車シート用ウレタンの金型へと変わっていった。今では現場13名、全16名体制で木型・金型・樹脂型の製作、アルミ鋳造に機械加工まで手掛けている。
そんな東亜成型の工場を訪れて、まず目に入るのがドーンと鎮座したたくさんの機械。金属を削ったり、穴を開けたりできるマシニングセンタやNCフライス、複雑な形状に加工できる放電加工機、鋳造設備もあれば木工用の機械もある。とは言え、一見すると普通の工場だ。ところがよくよく見てみると、工具の収納棚の取っ手がスパナやドライバーだったり、ケーブルリールが釣り竿のようになっていたり、鋳造の砂型の背景に富士山が描かれていたり。そこかしこに“デザイン”があるのだ。
仕掛け人は三代目社長・浦竹重行さん。大手会員制リゾートホテルの営業マンだったが、リーマンショックの影響で経営が悪化した家業を立て直すべく、2009年に入社した。「親父には『おまえの人生やからおまえが決めたらええ』って言われたんですけどね。小さい頃からかわいがってもらっていた職人さんたちが路頭に迷うかもしれないと考えると、なんとか役に立ちたいと思ったんです」と浦竹さんは当時を振り返る。
工場のブランディングから
東亜成型のブランディングへ!
いざ入社してみると、経営状況は想像以上に思わしくなかった。「銀行、知人、前職で知り合った方々、お金の工面に走り回りました。何よりほしかったったのは、経営を立て直すための時間でした」。でも、この先どうなるか分からない会社に猶予は与えられない。浦竹さんは「ちゃんとやってる会社だとアピールしようと考えました」。
まず会社案内を作った。金型工場の暗いイメージを払拭すべく、できたキャッチコピーが「型破りな考えも、型にはめる」。なるほど座布団一枚、いや三枚。だが、会社案内がユニークなのに、実際に訪れてみたら全然ユニークじゃない! ではまずい。というわけで絵を描いたり、道具を別のものに見たてたりと、工場にデザインを取り入れていった。
「工場のブランディングをしたわけです。自分はデザインなんて全然できないんですけどね、職人さんたちに想いを伝えると、楽しんでやってくれたんですよ」。これがメディアの目に留まり、新聞やテレビで取り上げられた。それから新たな仕事も舞い込み、そうこうしているうちに業績も徐々に回復していく。作戦成功である。
2017年には父・茂雄さんから会社を受け継いだ。現在は社長として、さらなる改革に取り組んでいる。
「これまでは現場を無視して、ブランディングばかりしてきました。これからは現場と連携しながら、設備投資も行って、地に足をつけていこう。そう思っています」。
そんな取り組みの核となるのは「お客さんのニーズを聞いたものづくり」。浦竹さんは言う。「金型を造って納める“B to B”だけでは、お客さんの顔も声も分らない。職人のみんながお客さんと接することができるものづくりをしていきたいんです。そのためには“B to C”、オリジナル商品をつくって販売していきたい。これまで木型・金型を造り続けてきた自分たちのストーリーが伝わるような、商品づくりに挑戦したい」。新たなメイドインニシヨドが誕生しそうな予感。ただただ楽しみ!
東亜成型 株式会社
住所 大阪市西淀川区中島2-11-98
TEL 06-6474-5688
メール info@toaseikei.com
http://www.toaseikei.com