西淀川には吹奏楽団があって、団長はアフリカの風も吹かせます
吹奏楽団アンサンブル・ウペポ
団長・河野智子さん
また、吹奏楽をやってみよう!
「吹奏楽団アンサンブル・ウペポ」は、西淀川区を拠点に活動している市民吹奏楽団だ。そう、西淀川には吹奏楽団があるのだ。ホールでの演奏会だけでなく、にしよどがわボランティアエキスポや福ハッピーフェスタといった地域イベント、地区の小さな催しにも出演。だから、西淀川の人たちは気軽に音楽に触れる機会がたくさんある。ありがとうウペポ!
と、感謝の声を上げてしまうほど、地域に吹奏楽団があるのはいいことである。だって、草野球のチームはいっぱいあって、遠い昔に野球少年だった人たちがきゃっきゃしている。同じように、かつての吹奏楽部員たちが、演奏をエンジョイする場もあって然るべきだ。中学や高校で吹奏楽をやっていた人って、相当な数がいると思うし。
じゃあなんで草野球みたいに吹奏楽団がないのか。いやある。各地に吹奏楽団はある。かなりある。だから、河野智子さんは近くの楽団を探した。
中学から大学まで吹奏楽部だった智子さん。結婚、出産を経て30歳を過ぎた頃、また吹奏楽をやろうと思い立った。
「私は京都の出身で、結婚して西淀川で暮らすようになったんですが、地元には吹奏楽団がたくさんあるんですよ。もちろん大阪にもあるんですけどね、なぜだか市内でも南の方ばかり。西淀川区にはないし、隣の淀川区にもないし、北区でさえ見つけられなかった。それにまだ子供が小さかったから、子連れオッケーじゃないといけない。となるともう全然ない」と、智子さん。
「だからもう、自分で作ろうと思ったわけです!」
10年で、吹奏楽の輪がぐんと広がった!
吹奏楽団に必要なもの。「メンバー」「練習場所」「発表するところ」。
「最初は知り合いに声をかけて5人ほど集まって、それからミクシィでメンバー募集したり、チラシを作っていろんな施設に置いてもらったり。練習場所は子供をおぶってあちこち探しました。音の問題があるから断られまくりましたね。そんななか、快く貸していただけたのが佃第二会館だったんです」
発表の場は、西淀川区と福島区の社会福祉協議会の登録ボランティアになったことがきっかけで、さまざまな地域行事に声がかかるようになった。
「活動を始めて10年。少しずつ輪が広がって、今では20名を超える楽団になりました。出会った頃は小学生だった子が、吹奏楽で有名な高校で演奏していたりします。音大に進んでこっちがついていけないくらい上手になった子もいて、それでもウペポで演奏するのが楽しいって、メンバーでいてくれてたりもする。それから、定年退職後のボケ防止にってメンバーになってくれている方も。老若男女、バラエティ豊かな楽団です」
2019年からは毎年12月に、エルモ西淀川で定期演奏会を開催。2022年からは西淀川区役所との共創事業として2か月に1回のペースで「にしよど青空コンサート」も開いている。そして、2024年1月にはあましんアルカイックホール・オクトでの「創団10周年記念演奏会」が決定。「子育てしていても楽器が吹きたい」という思いからスタートした智子さんの吹奏楽団は、多くの人に楽しいひとときを届けている。
学生時代に出会った東アフリカへの思い
ところで、「ウペポ」ってなんなのか。名付けた智子さんに解説してもらった。
「ウペポはスワヒリ語で、風の意味なんです。吹奏楽は英語ではウインドオーケストラ。だから風。それに演奏を聴いてくれる人たちがそよ風を感じるような、心地いい気持ちになってほしくて付けました」
なるほど。じゃあ、なんでスワヒリ語なのかというと、「私にとって大切な言葉なんです」。
智子さん、小さい頃から海外に興味があったそう。それで英語科の高校に進み、大学では国際開発学なる学問を専攻。アフリカ、中でもスワヒリ語圏の東アフリカの発展途上国の開発に興味を持つようになった。
「1年の時にケニアを旅行して初めてアフリカの地を踏みました。2年、3年は一転して吹奏楽を一生懸命。結構、吹奏楽に熱心な大学だったんですよ。4年になるときに、現地の言葉で現地の人と話せるようになりたい!と休学。タンザニアのスワヒリ語学校に留学しました」
タンザニアでは、スワヒリ語学校の教師の家にホームステイすること3か月。その後はアパートを借りて一人暮らし。約1年の滞在の間に友達もでき、ザンビアやジンバブエなど周辺の国々も訪れた。
「アフリカの人たちのたくましく生きる姿に魅了されました。もちろん貧困の問題に直面することもあって、日本人に生まれたことに罪悪感を感じることもありました」
そんなタンザニア留学で出会った日本人が、日本とアフリカを結ぶ貿易の仕事をしていた。聞けば、人手が足りないと言う。
智子さんはというと、帰国後「とにかく社会人として自立しようとすべりこみで採用してもらった」と、大学を卒業して保険会社に勤務すること1年。「でもやっぱり、どうしてもアフリカに関わる仕事がしたくて、人手が必要ならぜひ私にと懇願しました」。というわけで転職。「大阪の会社だったんで、それから大阪暮らし。タンザニアのコーヒーや布、絵画なんかを輸入して、販売していました」。
一度立ち止まって、また走り出す
27歳で結婚。お相手は大学の吹奏楽団仲間で、ウペポに欠かせないサックスプレイヤーだ。29歳で出産。子供が寝ている間に自宅でネットショップの運営をしたり、イベント会場に子供を連れて行って販売の仕事をしたり。
31歳で2人目を出産。さて、今までのスタイルでいけるだろうか。「自分の家族を大切にできなくて、アフリカの人を幸せにできるだろうかって悩みましたね」。
それでいったん、アフリカのことは置いておくことにした。会社を辞めて子育てに専念しようと。でもちょっと寂しい。
「そしたら高校時代の吹奏楽部の先生が、あんたには音楽があるやんかって。ああ、音楽なら子供と一緒にできるかもって思ったんです」
そうして吹奏楽団を探したものの、見つからない、というのは前述の通り。ちなみにこの時の吹奏楽部の先生が、ウペポの指揮者だ。あらすてき。
それから智子さんは、ウペポの活動に邁進していくのだが、それだけでは終わらない。3人目を出産し、三姉妹の母をしながらも、また別の貿易会社で働くようになった。遊びだって諦めたりしない。
「たまには夫に子どものお迎えを代わってもらって飲みに行ったりもします。仕事終わりの一杯なんかたまりません、ガハハ」
そんな智子さんが団長を務める吹奏楽団アンサンブル・ウペポ。聴いてみたいと思いませんか。
吹奏楽団アンサンブル·ウペポ
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