【すげーしゅげーめぐり】生涯学習からはじまった純子さんの手芸


 福町で暮らす田村純子さんの趣味は手芸だ。「得意なのはレース編み。けど、手芸は何でも好きなんよ」。フェルト細工にちりめん細工、アートフラワーなどなど。日々いろんな手芸を楽しんでいる。だからおうちには作品がたっくさん。貝殻を和柄の布地でくるんだストラップ、シャツの形をしたポケットティッシュケース、ハスの花托にこれまた和柄の布地をデコレーションした飾り! どこかで見たことのある、なんだか笑みがこぼれてしまう品々が次から次へと登場する。「これ、よかったら」「これもよかったら」。私の手にはおみやげがどんどん増えていく――。

自宅のリビングのテーブルが純子さんの作業場。お孫さんのリクエストで洋服のリメイクをすることもあるそう。

 生まれは広島県呉市の南、瀬戸内海に浮かぶ下蒲刈島。6人きょうだいの長女で、実家は商店を営んでいた。戦後の大変な時期。でも「最初の子だったからなのか、お茶もお花も踊りも習わせてもらったんです。お嬢さん育ちなんですよ(笑)」。

 高校にも進学した。当時、全国的にも珍しかった家庭科専門校の呉市立豊栄高等学校(現・呉高等学校)の被服科。純子さんの手芸の原点だ。

 高校卒業後は、呉の中央卸売市場で事務職に就いた。その3年後に結婚。ご主人は同じ島の出身で、大阪の板金工場に勤めていた。やがてご主人が独立して、姫島で板金をするようになって福町で暮らすように。純子さんは工場の事務を手伝いながら、3人の子供を育てた。

貝殻のキーホルダー。“おかんアート”なムードがぷんぷん。

ティッシュケースに匂い袋に人形。不思議と笑顔になってしまう。

京都の土産物店で買ったまつぼっくりを参考にしながら作ったのがこちらのハス。


 それからは、つらいこともあって、ご主人の仕事がうまくいかなかった時期もあったし、家族との悲しい別れもあった。そんななかで、ご近所友達5人で手芸教室をはじめることになった。それが1996年のこと。

 「福小学校に生涯学習ルームができるから手伝ってって。手芸やったらできるなと思ってね。そういう高校に通ってたし、内職で子供服の刺繍をしたりもしてたし」

 教室は月に1回のペース。毎回、5人で何を作るかを決めて、まずはお手本作り。続いて参加する人たちの材料や型紙を準備する。参加者は多いときは40名くらい。

 「作るものは、手芸屋さんに飾ってるものを見て、あんなんしようかって決めたり。牛乳パックでイスを作るのがはやったら、今度、私らもやってみようか、とか。どんなもん作りたい? って希望を聞いてみたり」

 そうして続けてきた福小学校生涯学習ルームの手芸教室は今年で27年。40とはいかなくなったものの、今も20名ほどの参加者が集まり、純子さんは講師として作品づくりをサポートしている。

 「参加してくれる人はいろいろで、器用ですぐに作ってしまう人もいるし、大まかなことだけやって後はおしゃべり、残りは家に持ち帰って、という人もいますよ(笑)」

 そんな手芸教室は、作業の手が止まることはあっても、話し声が絶えることはない、といった空間。参加する人にとっても教える人にとっても大切な、豊かな時間を過ごせる場だ。だからまた、次の教室のためにと純子さんはおうちで手芸に励む。

 「一緒に住んでる娘には、邪魔やからしまっといてって言われるんですけどね」と苦笑い。そんな純子さんの手芸ライフでした。

「娘はシンプルなインテリアが好きで…」ということで作品の展示場所はもっぱら玄関。

福小学校生涯学習ルームの手芸教室。この日作ったのはフェルトの匂い袋。

作り方をレクチャーする純子さん。

お道具箱に個性あり。こちらは落ち着いたムードの化粧箱。


華やかなカンカン。

ずばり、ブリュレタルト。

ディズニーはふたがひっついたタイプ。

タッパーに豆腐の容器、そして針山。

カットしたフェルトなどのゴミはたっぷり用意されたチラシ製ゴミ箱へ。

こちらの化粧箱には完成した作品。なかにはドライハーブを入れたティーバッグ。

教室を終えたところ。今月もお疲れさまでした。