佃子ども食堂
藤田欣也さん

 

「娘が高校を出たころかな。ぼくは40代半ばで、ちょうどコロナが始まって、そこでちょっと立ち止まったんです」

 う~ん、なにかやりたい! 

 京都の出身。高校卒業後、建設会社で施工管理。若さゆえのプレッシャーがあったのか、「精神的にもしんどかったですね」。そんなある日、車を運転していて交通事故を起こしてしまって、それをきっかけに会社を辞めた。辞めなくってもよかったのになんだか嫌になった。
 心機一転。親戚もいることだし、大阪にやって来た。運送会社に勤めるようになって、懸命に働いて、24歳で結婚。「佃の人だったんですよ」。佃のまちに藤田さんがやって来た。
 それから20年。子育てもひと段落。運送の仕事は大変だけど(すんごく大きなものを運んだりする)でも充実している。地域のためになればと保護司もしているし、奥さんもバリバリ仕事をしている(ダンプカーを運転している!)。

 でも、なにかやりたい。

 「漠然と趣味を探していたんです。車に凝ってみようかなって思ったりもしました。それから楽器。トランペットとかね」
 そんなとき、テレビで子ども食堂を紹介しているのを見た。こんな活動があるのか、と関心をもって調べてみたら出来島にもあるらしい。あら、川を挟んですぐ近所。
 「それが『くるる』さんでした。ちょっと見学させてくださいって連絡して訪ねたら、お弁当の配布を待つ列ができてたんです。驚きました」

 子どもにとっても親にとっても、地域にとっても子ども食堂が担う役割が大きいこと。せめて中学校区にひとつ、できればもっともっと数があればと考えられていること。もちろん、しんどい子ども、親がいること。いろんなことを学んで、民生委員さん、児童委員さん、町会などなどいろんな人に声をかけて、ご近所さんからお友達から、たくさん協力してもらって2021年の4月、佃子ども食堂がスタートした。

 コロナ禍ということもあって、最初はお弁当の配布やフードパントリー。やがて一軒の民家を使わせてもらえることになった。

 「あそこに登録したら食料がもらえるよとか、助成金の受け取り方とかね、それから子どもや家庭をどのようにサポートしたらいいのかとか。ほんと、たくさんの方に助けてもらって3年続けてこれました。あのとき、子ども食堂のニュースを見てなかったら、今頃ハデな車を乗り回してるかもしれない。不思議なもんですね」

 佃子ども食堂の活動はどんどん広がっている。協力・協賛している個人・団体もいっぱい(インスタフェイスブックをチェックしてみて)。「ま、こども会のようなものです。ただのお節介なんですけどね(笑)」。

 なんて言うけど、やっぱりつよいつよい想いがなかったら、たくさんの人に関わっていって居場所をつくっていくことなんてできないですよ。
 ちょいこわもて大柄、頼りがい満点。藤田さん、これからも佃と西淀川のために頼まっせ!


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