【すげーしゅげーめぐり】村長さんが籐から始めた教室
佃小学校生涯学習ルーム クラフトバンド教室
クラフトバンド(紙バンド)は紙製のひもを束にして、帯(バンド)にしたもの。米袋の口を閉じる、あれだ。丈夫なので、籐(ラタン)細工のように編んでカゴを作ったりできる。カラーバリエーションが豊富なのも魅力で、手芸用として人気なのだ。
そのクラフトバンドの教室が、佃小学校の生涯学習ルームで開かれている。代表は大塚博子さん、講師は佐藤久視子さん。二人は息子さん同士が幼稚園から同級生という間柄。して、なぜ教室ができたのかというと、博子さんのお父さん、高矢嘉次さんによる。
嘉次さんはかつて、岡山県北部の阿波村(現・津山市阿波)の村長を務めていた。村の施策として生涯学習支援の教室をつくったことがあって、村長を退任後、自身も通うようになった。
「父が70歳の時でした。“自分が作った施設なんだから”って声をかけられて、籐細工の教室に通うようになったんです。教室と言っても、教わるという感じではなくて、見よう見まねでつくっていたみたい(笑)」と、博子さん。それからというもの、嘉次さんは籐細工にのめり込み、作品づくりに励んだ。
それから15年余りが経ったころ。嘉次さんは大阪の老人ホームで暮らすことになった。程なくして、佃南小学校の生涯学習ルームの講師の話が持ち上がり、嘉次さんの籐細工教室がスタート。岡山・阿波から西淀川の佃へ、籐細工教室がやって来た。博子さんから話を聞いて、手芸好きの久視子さんも教室に通うようになる。
「ホームから、講師として佃南小学校に出かけていくのが日々の励みになっていたようです」と博子さん。まだまだ元気な嘉次さん、とは言え、手や指先の力が衰えてきた。籐細工は押したり曲げたり、力を使うのだ。そこで登場するのがクラフトバンド。扱いが容易で籐細工と同じように編むことができる。嘉次さんの籐細工教室は、クラフトバンド教室に変わって94歳まで続いた。
父親の思いが詰まった教室。娘の博子さんが後を継ぐ。
「私、不器用なんで講師なんてとてもとても。それで代表。講師は佐藤さんにお願いしたわけです」。
2020年、児童数の減少により、佃南小学校が閉校する。でも、クラフトバンド教室は佃小学校に移って、今も月1回のペースで続いている。