西淀川子どもセンターの13年

「すべての子供のための場であることで、子供たちをサポートする」。
そんな思いから西淀川子どもセンターは生まれた。
だから、ここにはいろんな子供たちが集う。
放課後の校庭のようであり、公園や河川敷のようであり、
かつての駄菓子屋さんやお寺の境内のような、子供たちが集う場。
だからこそ支援することができ、だからこそ課題もある。
その活動と子供支援の現状について、
創設者である西川日奈子さんと、現在、代表を務める息子の奈央人さんに話を聞いた。

西淀川子どもセンターの拠点「ねおほ」にて、創設者の西川日奈子さん(右)と代表の奈央人さん(左)。

“助けが必要”と思い込むと
子供に届かない

 御幣島駅の西、西淀川歌島橋郵便局の隣に立つレトロな店舗風の一軒。「ねおほ」と名付けられたその建物が、西淀川子どもセンターだ。創設者は生まれも育ちも御幣島の西川日奈子さん、通称“ひなやん”。2007年にセンターを立ち上げ、およそ10年にわたり代表として活動を続けてきた。代表を息子の奈央人さんにバトンタッチした現在も、裏方としてセンターを支えている。

 “子どもセンター”というからには子供のための施設だ。それも助けが必要な子供を支援している、はず。そう思っていた。だが、「ちょっと違います~」と否定するひなやん。

 「各地の子供支援団体で講演をすることがあるんです。そこでよく『どうすれば支援が必要な子供に、自分たちの活動が届くのでしょうか』って聞かれます。そういうとき、私はこう答えます。『子供を“支援が必要な子”と“支援の必要がない子”に分けてしまうことが間違っているんです』って」。
 なぜか。「『困ったことがあったらここに相談に来てください』。そう言っても子供は来ないんです。“相談”なんて上から目線で言った途端、『そんなん別にいいです、困ってません』って感じでね」。

 あの施設は虐待や貧困、不登校といった問題を抱えている子が行くところ。そんな風に周囲がレッテルを貼ってしまうと、子供は来にくくなってしまう。だから西淀川子どもセンターは、子供たちみんなのための場所なのである。
 では、具体的にどんなことをしているのだろう。現在、メインとなっているのは「いっしょにごはん!食べナイト?」。参加者がスタッフと協力して夕食を作り、食卓を囲むイベントだ。食後はボードゲームをしたり、雑談したりと、子供も大人も一緒になって過ごす。ほかには、計算や作文といった勉強から野外活動、進学のサポートも行う学習支援の「てらこやプロジェクト」や、子供も親も対象にした何でも話せる場「ぽぴんず相談室」などなど。

 こうした活動は前述の通り、地域のすべての子供を対象にしている。そこでセンターのスタッフたちが、子供たちと関係性を築いていく。そのなかで、「もしかしたら困りごとがあるかも」と気付きが生まれ、さりげなくサポートしていく。これが、西淀川子どもセンターの目指す子供支援の形だ。

全国各地の子供から学んだ
“赤の他人”の役割

 学生時代は青少年キャンプのボランティア活動をしていたというひなやん。本格的に子供支援活動を始めたのは結婚後。青少年キャンプの延長といった軽い気持ちで始めた子供への暴力防止プログラム「CAP(Child Assault Prevention)」である。プログラムの実践者養成の一期生として学び、各地の学校でワークショップを行うようになった。その活動で、子供支援の必要性を肌で感じたと言う。

 「ワークショップではまず子供たちに、みんなには『安心』『自信』『自由』の3つの奪われてはいけないものがあるよって話すんです。で、どれかがないと思うときは、誰かに奪われて何かが起きている。そのことを劇を交えて伝えます。『おまえかばん持てよ!』とか、そんないじめの劇です」。

 劇の後、子供たちが話をしにやって来る。例えばこんなことがあった。

 「『あの子の話聞いたって』って言うんです。なんで? って聞くと、『給食のとき寝てる』って。それで本人に聞いてみたら、『赤ちゃんはどうやったら寝ますか』って私に聞くんです。小学校2年生の男の子が。

 寝かしてるの? お母さんは? 『お仕事行く』。お兄ちゃん、お姉ちゃんおるやんな? 『遊びに行く』。先生が思いもかけないところで、子供は困ってるんやなと思いました」。

 親が口を聞かない、一日中ガラスを磨いている、ほかにも想像だにしないことがたくさんあった。問題が一つではなく、複数の事情が絡み合っているケースも少なくなかった。そうした環境に置かれた子供が、中学生にも小学生にも幼児にもいた。
 「子供本人から話を聴くことの重要さを痛感しました。そして子供が心情を吐露してくれるのは通りすがりの人だったりするんだなと思ったんです。先生だと話しづらいんですよね。子供に対して、赤の他人の大人が受け持つ役割があると分かったんです」。

「子供支援活動で全国を訪れたことが、西淀川子どもセンターの開設のきっかけになった」とひなやんは話す。

自分が生まれ育った町にも
“しんどい子供”がいる

 「CAPの活動を続けてたらね、家の近所の光明寺のおばあちゃんに『よそでボランティアせんと西淀川でもして』って言われて」。

 ひなやんはCAPと平行して、御幣島で保護司として活動するようになる。

 「保護観察対象者として出会う人、みんな子供時代がしんどかった。『あの公園で野宿してた』とか、そういう話もありました。自分が暮らしてきた町にもしんどい子供がおったんやな……。実態として知りました」。
 保護司は地域に根ざし、犯罪や非行に陥った未成年者の生活指導、更生支援を行う。犯罪、非行があって初めて出会い、支援することができる。
 「もしその前に出会い、支えることができていたら、そもそも“更生”の必要もなかったかもしれない」。そんな思いが芽生えた。そうして2007年、西淀川子どもセンターを設立する。

 資金も活動する場所もないところからのスタート。公園に一本のパラソルを立て、子供たちに声をかける。一緒に遊びながら、話を聞いたりする。そんなことから始めた。翌年、大阪市の市営団地活性化事業に採択され、市営御幣島住宅の一室が使えるようになる。市からの助成は家賃の半額。残りの家賃や活動資金は、教育委員会などから年間100件以上の依頼があったCAPのワークショップの報酬が充てられた。

 こうして手弁当ながらも、子供たちが日頃から訪れることができる場ができた。文庫活動を始め、本を読んだり借りたりできるようにすると、口コミで小学生たちがやって来るようになった。時には紙芝居の読み聞かせをしたり、団地の広場でドッジボールや縄跳びをしたり。そうして、気になることがあれば「そのけがどうしたん?」といったように、声をかけた。

 保護司としての出会いから、中学生以上の青少年も来るようになった。

 「茶髪の兄ちゃんに眉毛のない兄ちゃん。『ここではたばこ吸わんといてや』って追いかけまわしたり。読書なんてせえへんから『勉強でもしよか!』って100問計算やったり。それが『てらこやプロジェクト』の始まりです」。

子供を見守る輪を
若い世代につなげていく

 その後、新たな活動場所として「ねおほ」が誕生する。もとは写真館で、ひなやんいわく「夫を言いくるめて退職金で購入(笑)」。スタッフや支援者とともにリノベーションした。
 ここで始まった活動が『いっしょにごはん!食べナイト?』だ。センター立ち上げ時からスタッフとして携わってきた奈央人さんは言う。

 「5時になっても帰らんかったりする子らがいて、夜の過ごし方が気になったんです。夜ご飯どうしてんのやろって。コンビニで買って食べてるとか、夜帰ってもだれもおらへんとかあるんですよ。じゃあみんなで夜ご飯一緒に食べよっかって始めました。それからもう7年になります」。

 今で言う「こども食堂」の草分けである。食事を提供するだけでなく、スタッフと子供たちが一緒につくって食べることで、楽しみながらコミュニケーションを深めている。

 スタッフはボランティアが中心。 西淀川子どもセンターの“卒業生”だったり、大学生や専門学校生のときから始めて、就職後も続けていたり。こうした支援の現場は、ともすると支援する側が高齢化してしまうが、若い世代が活動を支えているのが印象的だ。2018年度から奈央人さんが代表を務めるようになったことも、支援者の世代をサイクルしていくため。

 「みんなほんと、よく動いてくれて感謝しています。子供は楽しいところにしか来てくれないですから。こうして組織が若返っていくことで、地域の子供支援は続いていけるかなと思います。だから親世代、親になる手前の世代、僕ももうすぐ3歳と1歳になる子供がいるんですが、そうした世代が仕事をしながら地域に関わっていけるようになればいいと思います。自分のできる時間で、地域を変えるアクションをね」。

 奈央人さん自身も、言語聴覚士として医療機関に勤めながらの活動である。

ひなやんの意志を継ぎ、現在は代表として活動する奈央人さん。

数字として見えない成果を
誰が評価するべきか

 西淀川子どもセンターは現在、拠点を「ねおほ」に集約し、活動を続けている。運営費は寄付と企業や行政などからの助成金が充てられてきたが、十分とは言えず、活動を縮小せざるを得ないのが現状である。
 資金面の課題は、子供支援に限らずさまざまな民間支援団体が抱えている。事業収入のない西淀川子どもセンターの場合は、とりわけ厳しい。

 行政や企業からの助成は、新しい事業なら審査の対象となる一方、既存の継続事業は活動内容に加えて、新たな成果が求められる。この場合の成果とは、目に見える数字だ。回数と人数、虐待を受けていた子を何回保護したか、不登校が何人改善したか、といったことである。虐待などを未然に防ぐために、子供たちを長く見守る活動内容は、数字ではなかなか表わせない。開設後受けていた各助成金は、11年目を境に落ち続けていおり、2013年から新事業として始めた「いっしょにごはん!食べナイト?」を継続するためだけでは助成がつかない。

 それでも奈央人さんがセンターを引き継ぎ、活動を続けているのは子供たちの変化を目の当たりにしてきたから。奈央人さんが振り返る。

 「これまでいろんなドラマがありました。最初は全然話せなかった子が、今やノリツッコミまでするようになったり。高校中退した子がここに来るようになって、夜間高校に通うようになったりもしました。一緒に見学に行ったり、授業参観に行ったりしましたね。その後、残念ながらまた中退したんですけどね。そんな子らももう二十歳を超えました。
 学校に行ってない子たちもけっこういるんですけど、ここで出会った子同士はしがらみなく付き合っています。ここが居場所になってるのかな。あいつがおるから行こうとか、ここがあったから生き延びれたとか、そんな声を聞いたらやめるにやめれなくなって」。

 近年、日本の子供の貧困率はおよそ13~16%で推移し、一人親世帯の相対的貧困率は50%を超えている。また、大阪府の児童虐待通告件数は年間1万件を超え、人口比で見ると全国で群を抜いて多い。しかも、通告によって保護される子供は1~2割と言われている。プライバシーの問題から、どの子供にどんなことが起きているのか、地域が知ることはできない。この現実は、私たちが暮らす町に存在している。

 ひなやんは言う。「子供たちだけ通告や一時保護されても、家庭環境のほうは変わらない。そうした状況にある子を一人でも気長にサポートできればいいな」。

リモートを併用した、西淀川子どもセンターの会議の様子。区内の複数のこども食堂とも連携して、子供支援の輪を広げている。
NPO法人 西淀川子どもセンター
大阪市西淀川区御幣島2-13-34
06-6475-1372
https://nishiyodo-kodomo.net/

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